素晴らしいコンテンツが脳を侵食するのがしんどい

「推し、燃ゆ」を読んだ日曜の夜、その感想について考えることが止まらなくなってしまった。ブログにアウトプットしたらスッキリするだろうかとブログを書いてみたのが逆効果だった。もっと色々と考えたくなってしまい、布団に入ったもののうまく寝付けなかった。 

 

mikantasty.hatenablog.com

 

力のある作品、好きな作品、考えさせられる作品に触れたとき、自分の思考はそのコンテンツに引っ張られる。

この間の日曜のように考えが引っ張られることもあるし、関連インプットを無限に摂取したくなってしまうことも多い。

いい映画をAmazon primeで見た、新作の面白いアニメ・マンガを見つけた、リアルの世界でも新しく興味を惹かれる趣味ジャンルを見つけた(登山とか日帰り温泉とかサウナとか)というようなときに、その後期待感が高まりすぎてついついネットで関連のコンテンツを見続けてしまったり、次行きたい同系統の場所を全部リストアップしようとしたり、漫画は多すぎる量を全部読み切ってしまったりするのだ。
 
そして私は、あとで「やりすぎたー」って後悔する。
 

素晴らしいコンテンツに出会えてよい体験ができるのは幸福なことのはずだ。それなのに、最終的に追加の欲求をコントロールできずに、面白くないと思うまで情報を摂取し続けてしまったり、疲れて内容が半分も頭に入らない状態でストーリーを追ったりしてしまう。あるいは止まらない思考が睡眠を侵害する。素晴らしいコンテンツをきっかけに沸く無限の欲求が幸福度を下げてしまうのだ。

 

素敵なはずのコンテンツで不幸にならないために、どうしたらいいのか。
(やったことないけど例えば)ギャンブルでビギナーズラックなんかで大勝した後にさくっと帰れるような、いいコンテンツとの出会いがあったときに欲求を拡大しすぎずに、今この時に体験した幸福感で手じまいするような心理スキルが必要なのかなと思う。
 

一方で、上記のようなコンテンツに対する割と禁欲的な意見をネット界隈で見ることはあまりない。「ついついコンテンツへの欲求が過熱して、時間もお金もちょっとオーバーに使ってしまうぐらいハマってしまってる、でもそれだけハマれるものがあるって幸せ!」みたいな論調をよく見る。例えば浪費図鑑とか。

 

浪費図鑑 ―悪友たちのないしょ話―

浪費図鑑 ―悪友たちのないしょ話―

 

 

キャッチーで勢いがあり、楽しく読んだ。しかし皆凄い勢いでお金を使っており、読んだらこちらも疲れてくる。笑
 
資本主義のこの世界、コントロールできないレベルにコンテンツを欲する感覚はぜひとも消費者に植え付けたいものだろうし、消費する側も実際それを破滅しない程度に楽しめている人もたくさんいるだろうとは思う。
 
ただし自分と宗派が違うなーと思う。私は思考や欲求が自分のコントロールの範囲を超えている感覚自体が割と「しんどい」からだ。
私は自分の感覚を大事にして最適なコンテンツとの付き合い方、最適な幸せの得方を探していきたい。