カルチャーレスショック

こっち来て一か月半。振り返ってみると、カルチャーショックがない。
 
 
 
 
 
もちろん日本とカナダ、違いはたくさんあるのだが、それはどれもあえて発見した感じでしかない。楽しんだり面白がったり、一歩引いた場所から考えてみたりすることは多いのだけれど、衝撃をうけるような違いはない。
 
 
何故カルチャーショックがなかったか、なぜカナダで住む中で発見する色々な違いをカルチャーショックと呼ぶことがしっくりこないのか。
 
 
情報化社会だし、同じ大学経験者の先輩と日本で会う機会に恵まれていたので、既に現地に関する情報を十分に得ていたからというのも理由の一つではある。大学で新しい留学生向けのオリエンテーションや異文化理解ワークショップのようなものが盛んに開かれているおかげかもしれない。
 
 
 
だが最大の答えは、日本とカナダの違いを発見した時より、2国が同じであった時のショックの方が大きかったからだ
 
 
 
1か月以上前、ピアソン空港から大学のある町までシャトルバスで移動した。そのとき見た郊外の街並みは日本の郊外の記憶とびっくりするほど雰囲気が似ていたのだ。
 
緑の低地の上に、灰色の道路が走り、四角い箱のようなチェーン店が点在する景色。
 
 
 
 13時間も飛行機で飛んできてなぜ同じ景色を目にしないといけないのかと、正直がっかりし、同時にこれがグローバリゼーションの力かとおののいたことを覚えている。
 
 
 
それ以後、わたしはカナダならではの景色、もっというならばここに来た価値というものを探すのに結構必死だった。留学したての成果が見えない不安感もあったのだろうが、ちょっと滑稽なくらいに探していた。
 
幸いにも、大学の雰囲気や授業・課外活動がすぐに気に入ったし、語学面の改善もみられてきた(まだまだだけど)ので、不安はそんなにない。また、ちょっと足を延ばすと心を躍らせるのに十分な景色に出会うこともできたから、今は独自の景観をあえて探すこともない。
 
 
 
それでも、最初の衝撃はまだ覚えている。
 
 
 
 
 
ケベックのように歴史的な街並みを守るでもいい、独特の生活・文化を生かすでもいい、大学構内のように学生を集めて新しいクリエイティブな空間を創造するでもいい。
 
何らかの方向性で努力しないと、まちはどんどん画一化されていくだろう。規模の経済のなすがまま、道路を通して、グローバルチェーンが出店し、車が走るだけの。
 
 
 
もちろん、それが全て悪いとは言わないし、新参者や観光客のウケよりもそこに住む人が便利であることが大事だったりもするだろう。
 
 
 
しかし、同じ国内はともかく地球の裏側まで同じ景色で埋め尽くさていくと、世界が本来持っていた多様性が失われることになり、そこから人間が享受する豊かさが損なわれると思う。(といって観光受けばかり狙うとそれはそれで観光地同士同じようなうさん臭さを漂わせることになりかねないしそれはそれで多様性の喪失だけどね。。。)
 
 
 
そんなわけで、ほかにはまねできない歴史と文化を持つ街並み・景色・そこから得られる体験を色々な町は頑張って守っていってほしいな、と思う。特に、今経済発展の著しい開発途上国で、その土地が持つユニークな価値が十分に評価されないまま短期的な経済メリットにながされて画一的な開発だけなされることがあってほしくない。